親愛なる河辺さんと山極先生へ
ゴマでの戦いのニュースばかりではありますが、私たちはなんとか元気にやっていますが、今こそ現状に関わる写真を何枚かブログに送るときだと思いました。
ゴマにおける交戦状態によりブカヴは食料難に陥っています。
ジョン・カヘークワ
(訳注:以下はPOPOF英語版Blogに投稿されたものです)
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Blog 1.
ゴマにおける戦闘によるブカヴでの食料難
ジョン・カヘークワ
北キヴ州のルチュルで交戦が始まって7ヶ月近くなります。北キヴの州都ゴマは陥落し、M23の部隊により占領されています。このニュースは世界中に報道されています。
北キヴ州は南キヴ州より土壌が肥沃で、ジャガイモ、豆、粉を作るキャサヴァなど多彩な作物が収穫され、アルバート湖、エドワード湖からは燻製にする魚や塩が得られます。南キヴの州都ブカヴはゴマからの作物に依存しています。商人は男も女も地元の人たちが作った多様なフェリーで毎日移動し、家畜や上述した様々な食料品を仕入れてブカヴで売るために持ち帰ります。
ブカヴとゴマの両方の人々に重くのしかかる変化が起きてしまいました。今やゴマからブカヴ、またその逆というキヴ湖の交通は途絶えています。それは両方の人々にとって大変な負担となってしまいました。ゴマはブカヴから来る買い付け商人に依存し、一方ブカヴはゴマの食料供給者に頼っているのです。ゴマの市民はブカヴからの買い付け人が来なくなったことに不満を述べ、ブカヴの方ではゴマからの食料供給が無いことに不平が出ています。
ゴマからもたらされた食料の残された在庫を所有する一部のブカヴ市民によって、1週間前から先に述べたような食料品の価格が吊り上げられています。ゴマでの紛争以前50kgで42米ドルだった豆に、いま人々は48米ドル支払っています。ゴマでは、淡水不足と停電が起きています。ゴマを照明している電気はブカヴから引かれているのです。
21世紀、戦いに明け暮れるより、この国が他の国々と同じように発展に向かって前進する必要があり、私たちはみなそれを望んでいるのです。
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Blog2.
アフリカと海外の二つの手 (仮題)
ジョン・カヘークワ
アフリカと海外の人々による2つの支援の手がヒガシローランドゴリラ保護で協調することが求められています。コンゴ民主共和国の市民は現在まで40年以上にわたりヒガシローランドゴリラ保護保存の長期的強化を行ってきましたが、海外からの経済的な援助なしにはここまで成し遂げられることはなかったでしょう。
1990年代初頭には約17,000頭に達していた(Hall J. et all, 1994)ので、様々な努力にもかかわらず世界中の人々は常にヒガシローランドゴリラの頭数を他の3亜種ののゴリラより多く見積もりすぎてきました。
武装した対密猟者レンジャーによって守られているカフジ・ビエガ国立公園の高地部には、DRC(コンゴ民主共和国)内戦以前の1996年まで258頭がいました。4年後の2000年には、ブッシュミートとして食べられ、狩猟記念の剥製にされ、赤ん坊は生け捕りにされた結果、半数の130頭にまで減少しました。
カフジ・ビエガ国立公園当局と国際的なNGOである野生動物保護学会WCSは公園低地部のいくつかの地域において頭数調査を実施しましたが、公園内の数カ所で推定されたゴリラ頭数の結果を見る限り、保護されている地域でゴリラがそれほど多数はいないことがわかりました。
残ったゴリラたちの未来はどうなるのだろうか、もしもより多くのゴリラがコミュニティフォレスト(地元の共同体によって管理されている森)にある非保護地域にいるとしたら、多種多様な武装勢力が確実に潜んでいるこのような地域で彼らの未来はどうなってしまうのだろうか、と私たちは思うのです。もしもコンゴ民主共和国(DRC)の東部が4年毎に戦闘を繰り返す地域だすると、今まだ残っているヒガシローランドゴリラの集団の将来はいったいどうなるのでしょうか。
30年もの間、私達人間と毎日お互いに顔をあわせていたのに、ブッシュミートとして屠殺されたマエシェ、ムシャムカ、ニンジャ、ラムチョップ、ミントソース、ミシェベレ、そして彼らの一族のようなさまざまなゴリラの家族を失ったという傷は私たちの心から癒えずに残っています。
だからこそ、世界中の誰もがDRCの内戦に対して「NO」というべきなのです。アフリカと海外の人々による支援が手を携えて協力すればDRCの自然資源と人々を救うことができます。力を合わせればできるのです。
訳:岡本