ポポフについて

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ポポフ(POPOF)はポレポレ基金(Pole Pole Foundation)の略称で、コンゴ民主共和国(旧ザイール)でゴリラと人間との共生を目指して活動しているNGO(非政府・非営利団体)です。ポレポレは地元の言葉スワヒリ語で、東京弁で言えば「ゆるゆる」、関西弁で言えば「ぼちぼち」という意味です。成果を焦らず、ゆっくりと運動の輪を広げていこうという気持ちがこめられています。

内戦前の人気者ニンジャ

今年ポポフは設立30周年を迎えました。設立当初は、ゴリラの保護をめぐって地元住民と国立公園との間で大きな軋轢がありました。1970年にゴリラの保護のために設立されたカフジ・ビエガ国立公園は、1980年に世界自然遺産に登録され、たくさんの観光客がゴリラを見に訪れるようになりました。外貨収入も増え、国のお札にここのゴリラが印刷され、ゴリラは国民のアイドルになりました。ところが、国立公園を作る際に先祖伝来の土地から追い出された地元の人々には何の補償もありません。それどころか、薬草や薪を取りに保護区へ入ることさえ禁じられ、生活に困るようになりました。しかも、保護区からゾウやイノシシが畑に侵入してきて、作物を荒らします。公園側は何の対策も講じません。それではあまりも不公平ではないかと住民たちが抗議したのです。

ポポフはその対立を解消しようとして、国立公園で働いていた地元民が呼びかけて作った組織です。アフリカで自然保護を目指す団体はふつう欧米の主導のもとで作られ、エキスパートが必要な設備や装備をもってやってきて技術指導をするとともに、欧米の理念を普及します。でもそれではエキスパートや援助が途絶えれば活動は停止してしまいます。ポポフは海外の資金になるべく頼らず、自力で保護活動を組み立てようとしたのです。そのためにまず、ゴリラ観光を地元の手で運営しようとしました。1992年に国立公園の観光ガイドとして働いていた地元生まれのジョン・カヘークワが、公園の監視員や地元の仲間に呼びかけてできました。観光客がテントを張れる場所を用意し、ゴリラだけでなく自然観察ができるネイチャー・トレールや村人の伝統的な暮らしを見せるツアーを組み立て、ゴリラにちなんだ民芸品を売り出そうとしたのです。すぐにアートセンターが立ち上がり、絵葉書やゴリラの彫刻が制作されました。

2011.3. 公園まだ銃を持つ監視員によって守られている

しかし、1994年に隣国のルワンダで内戦が起こると、40万人を超える難民が流入し、公園近くにいくつもの難民キャンプができました。銃が安価に出回って密猟が増加するとともに、薪を取りに保護区へ入る人々が急増しました。国境は閉鎖されて観光客は激減し、ポポフの計画した観光事業は成り立たなくなりました。そこでポポフは難民支援のNGOと協力して薪を搬送して難民へ配り、公園への不法侵入を止める仕事を始めました。1996年には地元で内戦が勃発し、ポポフの事務所もメンバーも大きな被害にあい、多くの人々が森へ逃げ込んで難を逃れる事態となりました。内戦は1998年まで続き、この間公園は武装勢力によって支配され、監視員たちは銃を取り上げられてパトロールをすることができませんでした。銃を持った兵士や地元民が縦横無尽に保護区を歩き回り、たくさんの野生動物が食料として殺害されました。内戦前に450頭いたゾウはわずか数頭に、258頭数えたゴリラは130頭に減ってしまったのです。観光客を受け入れていたゴリラの4つの群れはほとんど壊滅しました。人間に馴れていたために、密猟者が迫ってもすぐに危険を察知できなかったのではないかと思います。ポポフのメンバーはこの事件に大きく心を痛めました。

2011.3. 環境学級の生徒が苗木センターで苗木を植える

2011.3. 環境学級の生徒が苗木センターで苗木を植える

いくらゴリラ観光をして外国の人々にゴリラの魅力を宣伝しても、地元の人々にそれが伝わらなければゴリラは保護できません。それを痛感したポポフは、まずこれまでに密猟をした経験のある人々に呼びかけて、積極的にポポフで雇用するようにしました。呼びかけに応じたのは47人で、アートセンターやポポフが新しく作った苗木センターで今でも働いています。また、土地を追われた狩猟採集民のトゥワ人の妻たちを集め、読み書きと洋裁を教えて公園の制服を仕立てる事業を始めました。さらに、幼稚園から中学校(ここでは中学校は6年間で日本の高校を含みます)まで環境教育ができる学校を建て、ここで公園のレンジャーや科学者が地元の自然を教える事業を始めました。

環境教育

ポポフ学校の小学部の生徒たち

ポポフ日本支部(POPOF-J)はこういった地元の活動を支える目的で、1993年に京都に設立されました。ポポフの活動を日本の人々に紹介し、現地のメンバーが制作したポポフグッズを日本で販売して活動資金を作り現地へ送金しています。これまで現地で調査研究に携わっていた日本人研究者やテレビの取材で訪れたスタッフが協力し、カフジのゴリラの生態や行動を伝えるビデオや教材を制作して活用してもらっています。現地のアーティストが描いた絵や写真を絵葉書にしたり、日本のアーティストたちに協力してもらってエコバックや団扇を作成して販売しています。また、定期的に説明会を開き、最近のポポフの活動について報告し、毎年ニュースレター(ポポフニュース)を発行して希望者に送付しています。これまでに数回ポポフの現地メンバーを日本へ招へいし、2001年には世界遺産の屋久島で環境教育とエコツーリズムに関するシンポジウムに出席してもらったり、2010年には京都で開かれた国際霊長類学会で活動報告をしてもらいました。また、ポポフのアーティストのダビッド・ビシームワとポポフ日本支部の山極寿一が共同で絵本「ごりらとあかいぼうし」(福音館)を制作しました。


ゴリラとあかいぼうし(絵本)David Bisimwa/ゴリラとあそぼう(唄)

ポポフの活動が徐々に功を奏し、最近は密猟の被害もなく、ゴリラの数は170頭を超えるまでに回復しました。村々にはポポフのメンバーが植えた木々が青々と茂り、環境学級の生徒によって大切に育てられています。学校を卒業した生徒たちの中で、公園の運営に携わる者も出てきました。将来が楽しみです。まだ現地の政治情勢が思わしくなく、日本で会員を募って現地へ派遣するまでには至っていませんが、関心のある方にはニュースレターを送ってお知らせし、準会員扱いをしています。会費はなく、年齢制限もありません。ぜひ、これからのポポフの活動に注目していただければ幸いです。

ポポフ20周年記念写真

 

コンゴ民主共和国の子どもたち

ポポフ学校の生徒

バナナを担いで

日本から贈られたパトロール用四輪駆動車

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