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ポポフ(POPOF )はポレポレ基金(Pole Pole Foundation )の略称で、1992 年にコンゴ民主共和国で設立されたNGO (非政府・非営利団体)です。ポレポレとは「ぼちぼち」という意味のスワヒリ語で、あせらずゆっくりと運動の輪を広げていこうという気持ちがこめられています。 | |
ポポフの目的は、コンゴ東部にあるカフジ・ビエガ国立公園の周辺で自然環境の保全、絶滅の危機に瀕する東ローランドゴリラの保護、地域振興、自然保護教育を実践することにあります。
会員はほとんど国立公園周辺に居住する地元の人々で、調査団を組織して土壌や動植物相の現状を調査したり、自然資源の持続的な利用をはかるように村人たちに呼びかけています。子供たちの年齢に合わせて環境教育のプログラムをつくり、就学前の児童から、大学生、主婦にいたるまでさまざまな教育事業を実施しています。また、国際交流を高めるために観光客に配布するパンフレットや絵はがきをつくったり、地元でエコ・ツーリズムを推進するための活動をしています。 こういったポポフの活動を支援するために、日本支部ではカフジ・ビエガ国立公園周辺の人々の生活、アート、東ローランドゴリラを題材にした絵はがきを作成して販売し、展示会、講演会を開いて寄付を募り、現地で必要な物品を購入する資金にあてています。 |
また、民芸品を作成する技術やアイデア、自然保護教育のための教材をを提供したりしています。現地コンゴの政治情勢が思わしくないため日本ではまだポポフの会員を募集するまでに至っていませんが、将来日本からも人材を派遣してより国際的な活動ができるようにしていきたいと思っています。
ポポフニュースは、最近のポポフの活動を紹介し、今までに日本で集められた資金がどのような活動に使われたかを報告するニュースレターです。現地の人々やゴリラの近況についても報告していこうと思います。
また、ポポフが創作したポポフ・グッズや絵はがきの販売についても紹介しますので、お知り合いで興味のある方にもぜひ伝えていただきたいと願っています。
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ポポフ創立10周年記念式典より
ポポフの学校で環境保護の大切さを学ぶ子どもたち
ポポフは国立公園ポポフは国立公園たちにも
生物学を学ぶ機会をつくっています |
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(2001年6月から2002年5月まで)
2001年
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9月11日〜16日
●特別展「ポポフ展」ポポフグッズの展示販売 堺町画廊(京都市) 9月15日 ●講演「カフジ・ビエガ国立公園と近隣住民の30年」 ジョン・カヘークワ 堺町画廊(京都市) 11月13日〜18日
11月24日
2002年
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ジョン・カヘークワ | |
本当に、本当に、すばらしい旅でした。これまで長い間あこがれていた日本へやって来て、想像したとおりにすてきな人々と出会えたことをまず神様に感謝します。ポポフがこれほど多くの人々の熱意に支えられていることを私は知りませんでした。ポポフのメンバー全員がきっと勇気づけられるに違いありません。 | |
北九州市で開かれた博覧祭や環境教育学会に参加して、私は日本の多くの人々が環境教育に関心を持っていることに驚きました。日本のような先端の技術を誇る先進国で暮らす人々が、自然を守ろうと運動し、それを子供たちに伝えようとしていることに頭が下がる思いです。西洋文明を盲目的に追い求める私たちも、もっと昔の人々の生活の知恵に耳を傾けねばならないことを痛感しました。
屋久島はアフリカ以上に緑豊かな場所でした。人々の自然保護に対する関心は強く、政府もきちんと森林を守る計画を立てて、さまざまな施設をつくっていました。自然の資源をうまく利用して民芸品の製作をしたり、観光ガイドをする人が多く、ツーリズムという産業がとても大きな力を持っていることに驚かされました。ポポフも見習うべき技術がたくさんあると感じました。 ポポフの活動しているカフジ・ビエガ国立公園も屋久島と同じく世界遺産に指定されています。しかし、コンゴには屋久島のような博物館もエコ・ツアーの組織も環境教育プロジェクトもありません。これらの活動が政府と民間のNGOとの協力の下で運営されていると聞いて、私はとてもうらやましく思います。コンゴで人々が屋久島のように活動できるようになるのはいったいいつのことでしょうか。でも、この経験をもとに少しでも屋久島を見習って、ポポフの活動に取り込んでいきたいと思っています。 すばらしい山々、サルやシカや、さまざまな植物に出会わせていただいたことをとても感謝しています。屋久島の人々と裸足になって森を歩いたこと、コンゴやケニアのダンスを踊った夕べを、私はいつも思い出す |
ことでしょう。日本の伝統的な生活に触れることができたことをとてもうれしく思っています。私は、日本人とアフリカ人は同じ文化と伝統をもっている、と確信しました。
京都で開かれたポポフ展では、思いがけないほど多くの仲間たちと出会うことができました。スワヒリ語や英語を知っている人が多かったことにも驚きました。朝から晩までいろいろなことをおしゃべりしました。展示の絵を見て、ゴリラを食べるコンゴの人が残酷だと思った人がいるかもしれません。でも、コンゴではゴリラが絶滅の危機に瀕していることを、ほとんどの人々が知らないのです。サルや類人猿を食べる文化を非難することはできません。日本でもクジラを食べる慣習を残酷だと言って非難することはしないでしょう。それよりも、ゴリラやクジラが絶滅してしまうことの損失、彼らと一緒に生きる価値を人々にわかってもらうことが重要なのだと思います。 私の話を熱心に聞いてくれた皆さんの顔を、私は忘れることができません。日本の人々が遠いアフリカのことをこんなにも真剣に考えてくれるとは、今まで思ってもいませんでした。皆さんといっしょに食べたアフリカ料理、手をつなぎあって踊った夜を、私はいつまでも覚えているでしょう。
これから私は、日本で出会った仲間や見聞きした出来事を、何度も何度もコンゴの人々に話すことになると思います。それは私にとってとても楽しいことです。日本の仲間がコンゴにやってきたら、ポポフはきっと同じように暖かく迎えようと思います。ぜひゴリラに、人々に、コンゴの文化に会いにやってきて下さい。それが近い将来きっと実現することを祈っています。
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シンポジウム 「アフリカと屋久島をむすぶ民間国際交流のこころみ」 山極寿一 |
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今回、ポポフの代表者ジョン・カヘークワさんが来日できたのは、安渓遊地さん(山口県立大教員)が代表者となりトヨタ財団から助成金を受けて行っている「自然・ヒト関係の修復に向けた国際学術協力の実践」という共同研究のおかげです。2000年の秋に屋久島在住の手塚賢至さんといっしょに私たちはケニアのカカメガの森を訪問し(ポポフニュースNo.
7参照)、今回はケニアからカカメガで森林保護と環境教育を実践しているウィルバフォース・オケカさんと、コンゴからジョンさんを屋久島へ招くことになったのです。
これまで、地域における自然や文化の豊かさを保全する努力は、行政や学者による上からの働きかけだけではほとんど実を結ぶことがありませんでした。「地の者」こそが地域の主人公であり、自然や文化の多様性の守り手であるという認識に立って企画されたところに、この共同研究の特徴があります。屋久島ではそれを多くの人々と確認し、先祖から遺産として残された自然と文化をどう活用し、将来の世代へ残すかについて検討し合うために、シンポジウムが開かれました。地元の上屋久町、屋久町、屋久島環境文化村財団も開催に協力してくれました。 屋久島の環境文化村で開かれたシンポジウム シンポジウムはまず、世界の3大熱帯林で植物生態学の調査をしてきた湯本貴和さん(京大生態学センター)による熱帯林の紹介から始まり、手塚さんのカカメガ訪問記、オケカさんのKEEP(カカメガ環境教育プロジェクト)の活動紹介と続きました。オケカさんは東アフリカ唯一のカカメガ熱帯林が住民の過度な利用によって崩壊の危機に瀕していること、それを防ぐためにしてきた努力について熱弁をふるいました。 ジョンさんは、カフジ・ビエガ国立公園がこれまでいかに地元住民の生活や権利を無視してきたか、それによって生まれた地元住民の反感を解消することが自然保護を推進するためにいかに重要であるか、について力説しました。ポポフの活動のおかげで、公園側は住民の協力を得ることができ、バサボセさんたち研究者の指導を受けてガイドの能力も格段に向上しました。やっとゴリラ以外の動植物について、親切なガイドができる状態になったことを報告しました。 バサボセさんは、内戦下で難民や兵隊によって森が踏みしだかれ、密猟によってゴリラの数が半減してしまったこと、その事実が2000年に実施されたコンゴ人研究者の調査によって明らかになったことを発表しました。安全が保障されないために、私たち外国人研究者が参加できない状態で、勇気あるコンゴ人研究者たちの努力によって実現した3ヶ月に及ぶ調査でした。内戦前に350頭いたゾウがほとんど絶滅してしまったことも判明しています。ただ、この調査が成功したことで、保護区のモニタリングがコンゴ人だけの力でも可能なことが内外に証明される結果となりました。こういった調査への地元の人たちがもっと参加するようになれば、保護への関心も高まることでしょう。 |
屋久町の貯木場で伐採の歴史を学ぶ
オケカさんやジョンさんは、屋久島の森は美しく、しかも行政の手で植林されて立派に守られている、と口々に絶賛しました。これに対して屋久島の人から、植林事業は動物のすめない人工林をつくり出し、サルの畑荒らしを助長する結果になったのではないか、という意見が出されました。ジョンさんたちは誤解していたのです。カカメガでもカフジでも住民の居住区は原生林に接しています。緩衝帯はどこにも設けられていないのです。このため、ジョンさんたちの目にはスギやヒノキの植林地が人と動物双方の利用を許容する緩衝地帯に見えたのです。
左からバサボセさん、ジョンさん、オケカさん デヴィッドさんは、シンポジウムやワークショップの最中に、前に張り出された大きな白い紙にゴリラやチンパンジーやゾウの絵を描きました。自分が見てきたコンゴの野生動物に対する想いを、言葉ではなく、自分の得意とする絵で表現しようとしたのです。これは大好評で、討論の間も人々の目はデヴィッドさんの絵に釘付けになりました。これらの絵は、最後に参加 者の間でオークションにかけられ、売上はポポフの活動資金に寄付されました。 アフリカの人々が最も痛切に感じたのは、日本ではもっと幼い子供たちに地域の自然の重要性を教えるべきだということでした。ケニアやコンゴの学校では地元の自然を用いた環境教育はまれで、NGOが自主的に行うことが多いのです。アフリカと日本の環境教育に関わる人々の意識の違いが現れた一瞬でした。とはいえ、私たちも環境教育を学校にばかり任せておかないで、自らが率先して行うべきなのでしょう。それは、自らの生活を見直し、子供たちへ残せるものは何かという問いに必ずつながっていくはずです。 討論の中で、今まで気づかなかった大切なことが改めて問い直されたと誰もが感じていたことでしょう。ポポフやキープ(KEEP)の支持者も増えました。今後もこういった国際交流を続けていきたいものだと思っています。
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以下『季刊生命の島』59号から抜粋
ジョンさん、オケカさん、バサボセさんから若者たちに贈られたメッセージ「あなたこそが屋久島の未来であり、日本の未来である」 --森の大切さ-- 若者「皆さんは、どうして、そんなにも熱心に森の保全に取り組んでおられるのですか?」 バサボセ「森なしには、森の生き物なしには、わたしたちは生きられません。そのことに気づいたのです。森は、そこに棲むけものたちの住まいだし、私は、チンパンジーの食生態を調べていますが、その研究にとっても森は大切なものです。さらに、カフジ=ビエガ国立公園は、世界遺産です。コンゴ人だけのものではありません。世界中の人々の財産です。日本人もイギリス人もコンゴ人も、すべての人々が守るべき宝なのです。」 オケカ「私は、カカメガの森の営林署で職にありついてから、初めて森のことを知りました。まず、知ったことは、そこに生えている木が我々人間よりも古くからそこにある、ということでした。われわれは、森の果実を食べたり、生薬を採ったり、建材を伐ったり、いろいろに森を使っています。森のおかげで人間はよりよく生きることができるのです。森が水をきれいにしてくれていることも知りました。きれいな空気が吸えるも森のおかげです。鳥も蝶々も蛇も霊長類も森に支えられています。
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太古の昔から人は森に住んで、他の生き物とともにその恩恵を受けてきました。しかし、人間の人口が急に増えて、その大切な森が急速に失われようとしていることを知ったのです。たとえば、カカメガの森は昔はとても大きくて、大西洋までひとつながりの大熱帯雨林の一部でしたが、今では、ケニアには、屋久島の半分ほどの面積(240平方キロ)のカカメガの森が孤立しているだけです。面積が小さくなっているだけでなく、樹冠に隙間があいて、林床に光が差し込むようになってしまったのです。人々は、薪を採り、炭を焼き、薬用にするために木の皮をはぎ、生産量以上に取ることを続けてきました。
森が消え、野生生物も絶滅の危機に瀕していることを知って、今こそ立ち上がって何かをしなければ、と思いました。この森にしかいない鳥が絶滅していきます。また、ヨーロッパからの渡り鳥の目的地、中継地として、非常に大切な役割も果たしています。大きな町に渡り鳥は来ません。私の子どもたちやそのまた子どもたちの時代にも、ヨーロッパからくる鳥をはじめとして、この森に住む野生生物を見られるようにしたいのです。子や孫たちの時代にも、我々とおなじように森の恩恵にあずかることができるように、今なんとかしなくては、と思い立ったのです。」 |
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--住民が森を守るために--
若者「大切な森を守るには、どのような取り組みが大切ですか。」 カヘークワ「コンゴのカフジ=ビエガ国立公園では、銃で森を守ってきました。放っておけば住民は森を畑にしてしまいますからやむをえないことではあるんですが、これは、住民の側からの大きな反発がありました。ゾウやヒヒが公園から出てきて畑を荒すのに、公園からは何の補償もないし、森の中でゴリラと一時間過ごすために観光客が払う一人150米ドルもの大金は、すべて中央政府に送られて、地元には一銭も落ちませんから。その後、収入の四割は地元で使えるように改善はされましたが。」 ??150ドルといえばコンゴ人の年間収入の平均値ぐらいですからね。 カヘークワ「住民の側は、今に公園の生き物に仕返ししてやる、という気持ちでいました。公園と住民の対立関係の和解をめざして私たちが1992年に作ったのが、ポポフなんです。ポポフのロゴマークは、そのことを表現したものです。」 オケカ「ケニアでもそうです。政府がやってきた森林保護と私たちがめざす森林保全は違います。政府のいう森林保護とは、銃を使って、密猟者や盗伐者を捕らえて警察に突き出すことです。裁判をへて、罰金あるいは禁固刑に処します。私 |
はその捕らえる側のパトロールの仕事をしばらくしていましたからよくわかりますが、これは、政府によるいじめだ、と土地の人は感じています。」
バサボセ「例えば、高い塀をめぐらして人々が入れないようにするのが保護。本当に必要な保全はそれとは全然ちがうことです。」 オケカ「そうです。権力で保護はできても、保全はできません。森の産物にある程度は依存しなければならないことは事実です。しかし、われわれは利用するばかりで森の世話をいっさいしていないというところに問題があります。 環境保全を目的にするNGOが共通にもつべき目標として、貧困の撲滅ということがあります。人々がきちんと学ぶことができれば、貧困状態は改善されます。さもなければ、環境破壊は止まりません。人口増加による森への圧力を下げるために、生活に役立つ木を植林をしたりする努力も大切です。 一部の者だけが森を保護し、住民は何も学べないという状況では、解決は望めません。そうなれば、特定の生き物だけが増えて、他の生き物にも悪影響をおよぼすかもしれません。森林保全とは、一言でいえば『森を知って賢く使う』ということなのです。」
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絵、ダヴィッド・ビシームワ
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カフジの森には少しずつ平和がもどってきました。相変わらず保護区の半分以上の地域は、まだ反対勢力の民兵や密猟者が活動していてパトロールが不可能になっていますが、ゴリラが被害にあったという噂を聞きません。ジョンさんたちガイドやトラッカーの努力によって、今までに4集団のゴリラが人に慣れ始めており、日々の動向が逐一調べられています。うれしいことに、1998-1999年に虐殺されてしまったと考えられていた何頭かのゴリラたちが、生き残っていることがわかりました。それらのゴリラたちの消息も含めて、近況を報告します。
ムガルカ集団は、1987年にムシャムカ集団で生まれたムガルカ(カボコを改名)というオスがリーダーをしていて、合計12頭のゴリラで構成されています。メスのうち、以前からいたトゥンダとシンガは残念ながら、集団を離れてしまいましたが、隣のムファンザーラ集団からムウォガとムウィンジャという2頭のメスを得ました。ムウォガとムウィンジャは、虐殺によって消滅したムバララ集団のメンバーでした。2000年の6月8日にはルシャシャというメスが最初の赤ちゃんを産み、チュバカと名付けられました。チュバカはすくすくと成長し、最近ではお母さんの背中に乗るようになり、休息時間などにお母さんから離れて1人で遊ぶようになりました。ムガルカは次々にメスを獲得して、メスの数は10頭に増えました。でも子供はチュバカだけ。早く、他のメスたちが赤ちゃんを産んで、チュバカにも遊び仲間ができてほしいものです。 ミシェベレ集団は1997年には19頭でしたが、他の集団のリーダーオスが殺されてから次々にメスが加入し、1998年には31頭、2000年には40頭に膨れ上がりました。最近、虐殺されたニンジャ集団にいたビビというメスがこの集団にいて、しかも赤ちゃんを産んでいることがわかりました。ビビはもともとマエシェ集団にいたメスで、ニンジャ、ビリンドワ、ミシェベレと少なくとも3回 |
集団を移ったことになります。この赤ちゃんにはチナヌーラという名前が付けられました。ミシェベレ集団には現在17頭のメスがいて、そのうち6頭が赤ちゃんを抱いています。
ムファンザーラ集団は、リーダーのムファンザーラがまだあまり人になれていないため、その全容は明らかになっていません。でも何頭かのメスは明らかに人を怖れません。以前ムバララ集団が遊動していた地域にいるので、ムバララ集団が虐殺された後、残ったメスが加入した可能性が高いと思います。現に、ムファンザーラからムガルカへ移ったムウォガとムウィンジャは、たしかに元ムバララ集団のメスでした。この集団にはムファンザーラの他に、8頭のメス、3頭の子どもが含まれていて、2001年の5月には赤ちゃんが生まれたことがわかっています。 ビリンドゥワ集団は 、ヒトリオスだったビリンドゥワがニンジャ集団の虐殺後に、残ったメスや子どもたちといっしょになってできたと考えられています。ビリンドゥワは20歳代前半と推定される若いシルバーバックです。メスたちは、元ニンジャ集団にいたムパカ、イラギ、カンバ、ゾヴ、クワレの4頭で、ほとんど人間を怖れません。でも、いつもビリンドゥワが飛び出してきてメスたちを後方へ押しやり、人を寄せ付けません。イラギはムパカの娘でムシャムカ集団で生まれ、赤ん坊の時に母親といっしょにニンジャ集団へ移ったことが知られています。今年13歳になるイラギは、今もなお母親といっしょに新しい集団で暮らしているのです。カンバ、ゾヴ、クワレは、ニンジャ集団で虐殺前に赤ちゃんを抱いていたことがわかっています。今、誰も赤ちゃんを抱いていないところを見ると、その赤ちゃんたちは死んでしまったのだろうと思われます。この集団でも、早く赤ちゃんの姿が見られることを願っています。 |
絵、阿部知暁
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今回、ジョン・カヘークワさんと一緒にポポフのトップ・アーチストのダヴィッド・ビシームワさんが来日しました。ダヴィッドさんはポポフグッズを考案・製作し、ポポフのアーチストたちを指導してきた人で、ポポフニュースのさし絵やポストカードにも作品を描いています。 |
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ダヴィッドさんの来日の目的は、日本のアーチストたちと交流し、日本の材料で新しいポポフグッズや自分の芸術作品を作ってみることでした。ダヴィッドさんにとっては今回が初めての外国旅行。戸惑ったり、驚いたりすることの多い旅だったようですが、京都や屋久島のアーチストたちとすぐ仲良くなり、さまざまな材料を使ってさまざまな興味深い作品を製作しました。ポポフ日本支部では、ダヴィッドさんの滞在費として10万円、他に作品製作に用いる材料費を提供しました。これらの作品は9月に「ポポフ展」、11月に「ダヴィッド・ビシームワ個展」として堺町画廊(京都市)で発表され、多くの方から好評を得ました。販売された作品の売上はポポフの活動に寄付されました。ホームページでもダヴィッドさんの作品を通信販売していますので、ぜひご覧下さい。
ダヴィッドさん来日のもう一つの目的は、ゴリラの絵本を作ることでした。これは、以前から福音館書店の編集をしている唐亜明さんと話し合っていた計画です。小さい頃からゴリラに親しんで育ったダヴィッドと、長年そこでゴリラの研究をしてきた私が合作してみようと思ったのです。 絵本の題名は「ゴリラと赤いぼうし」、ゴリラと地元の子供たちのふとした出会いが物語になっています。本当に起こった出来事ではありませんが、将来きっと起こるに違いない物語だと私たちは信じています。それは、かつて公園に保護されたゴリラの子供が赤い帽子にとても興味を示したこと、野生のゴリラが時々水たまりに映る自分の顔をじっと見つめて遊ぶのを観察したことがあるからです。そこで赤い帽子を前にして、私はゴリラならこうするだろう、ダヴィッドは地元の子供ならこうするだろう、と思ったことをそのまま物語にしました。 この絵本では、今までの動物絵本のような「動物に人間の言葉でしゃべらせる」とか、「動物の行動を人間の行動にあてはめて解説する」といった方法をとっていません。ゴリラの音声をそのまま出して解説を付けず、読者にその声を発声してもらいながらゴリラのしぐさを理解してもらおうと思ったからです。ゴリラのことを知るためには、まずゴリラになってみることが必要です。そのための入門編として、この絵本には「ゴリラの歌」の楽譜が付いています。この歌はダヴィッドさんが歌ってくれたコンゴ民主共和国キヴ地方の民謡を、シンガーソングライターのはるぞうさんとおきゃんさんが編曲してくれたものです。歌いながらゴリラの声を出すことができれば、あなたは一歩、ゴリラに近づけます。ぜひ、試してみて下さい。 |
カフジ・ビエガ国立公園では、もう30年も前からゴリラ・ツアーをやっています。外国から来た観光客がガイドに連れられて野生のゴリラを訪問し、短時間ゴリラの生活を垣間見るというツアーです。おかげでゴリラは世界的に有名なりましたが、地元の人々にはあまり知られていません。むしろ畑荒らしをするゾウやヒヒたちと並んで、やっかいものの動物と思われています。ゴリラの保護区である公園をつくるために、人々は祖先伝来の土地を捨てなければなりませんでした。森で狩猟採集活動をしていた人々も仕事を失いました。地元の人々には、公園に対しても、野生動物に対しても不満があります。最近起こった戦争で、食べる物に困った人々は森に入ってゾウやゴリラたちを狩猟し始めました。この2年間でゾウはほとんど絶滅し、ゴリラの数も半減してしまったのです。
このままでは、人々がゴリラの魅力を知る前にゴリラたちは消えていってしまいます。子供たちが大きくなる頃、私たちが誇りとしたゴリラたちはもういないかもしれません。どうしたら人間がゴリラや野生動物と共存できるかを、ぜひ日本の人々もアフリカの人々といっしょに考えてほしいと思います。きっと日本の読者は、「ゴリラが村のすぐ近くの森にすんでいるなんて」、とびっくりすることでしょう。でも、ゴリラも人も関わりをもたずに生きていけないのが現代のアフリカなのです。互いに平和に共存できる未来をつくるために、この絵本が役に立つことを願っています。 |
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コンゴ民主共和国キブ地方の民謡
作詞:山極寿一
編曲:山田晴三
絵、阿部知暁 |
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コンゴの男の子ジンガくんは、市場にいるおばあさんにたまごを届に行きます.初めて一人で行く市場、ジンガくん大丈夫かな?この絵本の市場はポポフの人たちが日常の買い物をしているムダかの市場がモデルです。
福音館書店より7月10日発売 |
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近刊案内
■ 服部正也著
■ 遠藤保子著
■西田利貞編
■「東大小児科便り」編
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■ 和田正平編
『現代アフリカの民族関係』 明石書店 ■ 宮本正興・松田素二編
■ ダイアン・フォッシー著
■ 伏原納知子著
■ 山極寿一著・
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