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予想外の喜び

ジョン・カヘークワ


   今年の6月に始められた哺乳動物の生息数調査は、この8月に無事終了しました。2ヶ月間森の中で密猟者やゲリラの影におびえ、毎日20〜30kmを歩き通したおかげでみんな疲れ切っています。でも私たちはこれまで予想していた以上にゴリラが生き残っていることがわかって、心が沸きたっています。600平方kmの山地林に13群129頭のゴリラの生存が確認されたのです。この数は1990年の調査結果(25群258頭)のちょうど半分です。調査が始まる前は少なくとも3分の1以下に減ってしまっているだろうと予想していたのですから、これはうれしい誤算です。これからの私たちの努力によってゴリラたちは絶滅を免れることができるかもしれません。幸いなことに相当数の子どもたちが生き残っていますし、最近私たちが人づけをはじめたミシェベレ集団では次々に赤ん坊が生まれています。今後1頭でもゴリラの数を増やすように努力し、地元の人たちに協力を呼びかけていこうと思っています。

  今回、日本の皆様から贈っていただいたパソコンとプリンターは、地元でゴリラの保護を普及するために大変役立ちます。今まで国立公園周辺の村々を回るのに、住民達にポポフの活動や目的を理解してもらうパンフレットがありませんでした。

▲デヴィッド・ビシーモワ画 
パソコンが手に入ったので、これからさまざまな活動や企画を図解にして説明することができますし、貴重な記録も残すことができます。今やっと軌道に乗りはじめた環境教育もパソコンのおかげで進めやすくなります。パソコンを駆使して多様な教材をつくり、子どもたちにも参加してもらって視覚的な教育も行うことができるようになりました。

  1998年の8月に2度目の内戦が勃発して以来、公務員には給料が支払われておらず、国立公園で働く私たちも無給で生活しています。診療所には薬がなく、学校には先生も教科書も不足しています。収穫した農作物や家畜を売ってわずかな現金をつくり、みんなで共同して薬を買ったり、先生を雇って子どもたちを学校へ通わしているのが現状です。でも今年はポポフ日本支部の皆様をはじめ、各国のNGOが暖かい援助の手を差し伸べてくれたので、何とか活動を続けることができました。苗木センターも順調に運営されていますし、アーチストたちの作業場も拡張しました。新しくゴリラにちなんだグッズを作成したので、ぜひご覧下さい。ポポフが誇るデヴィッド・ビシーモワ自慢の作品です(最後のページに掲載してあります)。今回の調査や私たちポポフのこうした活動は、地元の人たちから大きな注目を集めています。ポポフの活動が世界の仲間に支えられていることを知るようになったのです。いっとき、野生動物の肉がいっせいに地元の市場に出回り、ゴリラの肉が売られるという事態になりましたが、今は見られなくなりました。明らかに人々の意識が変化しはじめたと思います。何とかこの状態を悪化させることなく、人と動物たちが共存する明日を夢見ることができるように努力していくつもでりです。


 

コンゴ人の手による

初めての総合調査

 カニュニ・バサボセ


  この6月から8月にかけてカフジ・ビエガ国立公園で実施された大型哺乳類の生息数調査はいくつかの点で画期的な試みでした。それはまず、内戦下で政治的に中立な立場で調査が行われたことです。むろん、国立公園は現在この地方を支配している反政府勢力の管轄下にあります。その承諾なしには調査は実施できません。しかし、こういった勢力からの援助を極力避け、地元の人々に対してこの調査がどの勢力にも荷担するものではなく、ただ国立公園内の哺乳動物の現状を調べることのみを目的とすることを強調しました。調査が世界遺産であり、地元の財産でもある貴重な動植物の将来にわたる存続可能性を把握することだと言い続けたのです。この普及活動にポポフは重要な役割を果たしました。国やユネスコなど公的機関の援助を受けられなかったかわりに、多くの国際的なNGOから支援を受けることができました。

  もうひとつの成果は、この種の調査がはじめて自国の研究者だけによって組織されたチームで遂行できたことです。これまでカフジ・ビエガ国立公園では3回にわたってゴリラの生息数調査が行われてきました。最初の調査は1978年にアメリカ人のムルニョクさんとわが国のエカム・ウィナさんが中心になって実施しましたが、公刊された報告書はムルニョクさん一人の名前で書かれています。2番目の調査は1990年にこのポポフ日本支部の責任者でもある山極寿一さんたち日本の研究者、アンドレア・スパンジェンバーグさんたちドイツの研究者、それに私が属している中央科学研究所からムワンザ・ンドゥンダさんが参加して3国合同で行われました。3回目は1996年にWCS Wildlife Conservation Society)の主導でアメリ人、日本人、わが国の研究者として私やンバケ・シブハ、プリンス・カレメなどが参加した混成チームによって行われました。だんだん地元コンゴ人の比率が増えましたが、今回のようにコンゴ人だけで最初から最後まで実施したのははじめてです。こういう事態になったのは、わが国の政治情勢が芳しくなく、外国人の研究者が長期滞在するのは危険だと判断されたからです。しかし、原因はどうあれ結果的に自国の調査隊が立派に仕事をこなし、信頼できる結果をだしたのは、誇れる成果だと思っています。調査の方法や機材の使い方、分析の方法など、今回の調査では多くの経験ある諸外国の研究者が協力してくれました。彼らの献身的な支援がなければ、決して調査を成功に導くことはできなかったでしょう。GTZ (German TechnicalCooperation Agency)やWCS からは資金の援助を受けましたし、International Gorilla Conservation Project,Dian Fossey Gorilla Fund,Berggorilla,Ape  Alliance,Nouvelle Approachなどの組織からはテント、寝袋、雨具、長靴など物資の援助をしてもらいました。ポポフ日本支部からは無線機を4つ提供してもらいました。これは調査チーム同士や本部との交信に大変役に立ちました。改めてお礼を申し上げます。

  調査の企画は山極寿一さんと公園スタッフ、それに私たち地元の研究者で行い、それをさらにWCSのオマーリ・イランブさんやアンディ・プロンプトさんたちで検討して練り上げました。オマーリさんはわが国の研究者で、現在アメリカのイェール大学で野生動物保護管理学の勉強をしています。この3月にイェール大学で「戦争と熱帯雨林」という国際シンポジウムが開かれ、その際、山極さんとオマーリさんがコンゴの現況を報告して調査の企画会議を開いたのです。調査を開始する際にはDian Fossey Gorilla Fund のアレスター・マクネイラージさんやリズ・ウィリアムソンさんが現地に来て、2日間調査法の実習をしてくれました。

調査の指揮はオマーリさんがとり、5チームに分かれて国立公園内をくまなく歩き回りました。中央科学研究所からは私の他にプリンス・カレメ、ロベール・チズングが参加して各チームのリーダーとして活躍し、ポポフのメンバーも調査補助員やトラッカーとして多数参加しました。2ヶ月で私は9kgも体重が減りました。

  私たちは、13群と4頭の単独オス、合わせて129頭のゴリラの生存を推測することができました。この数字は正直言って意外でした。調査を始める前は、ゴリラはもうせいぜい50頭ぐらいしか生き残っていないだろうと思っていたからです。何しろ、最も安全な地域で暮らしている観光用に人づけされた4群のゴリラたちがほとんど全滅してしまい、私たちが研究を続けているゴリラと合わせても3分の2のゴリラが密猟者に殺害されていたのです。監視の目が届かない地域にいるゴリラたちはもっと悲惨な目に遭っていると思われました。ところが、予想に反して人づけしていないゴリラたちの多くは、密猟者の手を逃れて生きながらえていました。彼らが人間を怖れていたことがかえって幸いしたのかもしれません。

  これまでに行われた3回の調査に比べても、未成熟な子どもゴリラの比率がそれほど低くないのは幸いです。次世代を担うポピュレーションをまだまだ期待できるからです。ポピュレーション内の性比が分かっていませんが、各ベッドから採集した毛を保存しており、京都大学霊長類研究所の松原幹さんにお願いして近い将来分析してもらう予定です。ゴリラのポピュレーションの性年齢構成がわかれば、今後どこまで個体数が回復するか予想を立てることもできるでしょう。残念ながら、ゴリラに比べてゾウの調査結果は悲惨なものになりました。1996年に約450頭という数が推定されたゾウは、現在5頭位しか生き残っていないことが判明したのです。ゴリラたちが殺される前の1996年から、すでにゾウは密猟者の格好の標的となっていました。銃の普及が最大の原因です。最初に内戦が勃発した時には象牙を目的とした密猟が増え、2番目の内戦で残ったゾウが今度は肉の売買を目的に狩猟されたのです。今回の調査でゾウの足跡を見たのは公園中央部を南北に走る大湿原の1カ所のみ、しかも足跡から決して5頭を超える数ではないと判断されたのです。もはやゾウたちが自力でポピュレーションを維持する道は残っていません。

  幸いなことに、チンパンジーやブルーモンキー、ロエスティモンキー、クロシロコロブスなど樹上性の類人猿やサルたちはあまり密猟の被害にあってはいないようです。今回の調査で頻繁に姿を見かけましたし、声もいたるところで聞いています。私の印象でも、1996年の調査と比べて減ってはいないと思います。公園周辺の市場でもまだサルの肉が出回っているという話を聞きません。これはうれしい結果です。今後オマーリさんを中心にこの調査の結果を分析し、科学的に確かな推定値を出して公表したいと思っています。そして、その結果に基づいて最適な保護対策をできるだけ早く講じなければなりません。これまでのご支援に深く感謝するとともに、これからも私たちの活動を暖かく見守っていただきたいと思っています。

ポポフのメンバー


 

カカメガ、

屋久島の森とポポフ

山極寿一
  9月の中旬に私はバサボセ・カニュニさんとケニアのカカメガと呼ばれる森を訪れました。山口県立大学の安渓遊地さん、安渓貴子さん、京都大学生態学研究センターの湯本貴和さん、屋久島足博の手塚賢至さん、ケニアにあるICIPE(国際昆虫生理生態学センター)の足達太郎さんたちが一緒でした。これは安渓遊地さんが中心になって企画した「自然・ヒト関係の修復に向けた国際学術協力の実践」をめざすプロジェクトで、トヨタ財団の助成を得て実現したものです。高い人口密度と放牧や薪の採取等によって、急速に消滅しようとしているアフリカの森と、観光客の増大等によって森の破壊が進行中の屋久島の住民が、互いの経験を共有し啓発しあうことで、森林という人類共通の宝を通したアフリカと日本の文化交流・学術交流を実践しようというのです。コンゴ民主共和国のカフジ・ビエガ国立公園も屋久島と同じように世界遺産に指定されています。人々の生活を向上させ、自然と人との共存を計る上で他のアフリカの森や屋久島と多くの共通の問題を抱えています。ポポフもこの計画に全面的に協力していこうと思います。今年はケニアのカカメガの森にみんなが集まり、来年は屋久島に集合して互いの体験を共有し、何ができるかを話し合おうということになりました。

 カカメガにはウィルバフォース・オケカさんがKEEP(カカメガ環境教育プログラム)というNGOをつくって活躍しています。今回はその事務所でKEEPの人たちと交流し、屋久島のエコ・ミュージアム活動やポポフの活動を紹介することができました。オケカさんは以前は密猟や不法な森の伐採を取り締まるパトロールの仕事をしていました。でも人を取り締まるだけでは地元民の反発を買うばかりで、大切な森の財産を守れないことに気づいたのです。この経緯はジョン・カヘークワさんたちがポポフを設立した動機といっしょです。オケカさんは森のまわりに住む子どもたちを毎週森へ招いて、森の魅力や生活にとっての意味について学んでもらっています。私たちが訪れた時もちょうどKEEPのメンバーが子どもたちに植物や鳥の生態について教えているところでした。子どもたちは熱心に手をあげて質問し、先生もたじたじとなるほど積極的でした。私たちを歓迎して小学生や中学生が寸劇と踊りを披露してくれました。とても快活な子どもたちでKEEPの考えや活動を信頼している様子が伝わってきました。子どもたちと大人の世代の信頼関係はポポフの環境教育の学校でも強く印象に残ったことのひとつです。これは私たち日本人が学ばなければならないことでしょう。

  手塚さんはできたばかりのKEEPの事務所の壁に大きな虹を描いてプレゼントしました。雨の多い屋久島では本当によく大小の虹が見られるのです。手塚さんは足で歩く博物館を主宰し、最近はヤクタネゴヨウマツという屋久島と種子島にだけ分布している貴重な植物の絶滅をくい止めるために調査活動をしています。以前湯本さんとボルネオの熱帯雨林を歩いたことがあり、アフリカの森にも強い関心をもっています。

  私たちはKEEPの人たちの案内でカカメガの森を歩きました。ここにはゴリラやチンパンジーなどの類人猿はいませんが、ブルーモンキー、アカオザル、クロシロコロブスなどの樹上性のサルがたくさんすんでいます。多様な果実が豊富に実り、果実を食べる大きなサイチョウがあちこちでバサバサと騒々しい羽音を立てていました。大きな垣根のような板根をつけた大木がいたるところに見られます。どちらかといえば乾燥したサバンナの国ケニアにこんな立派な熱帯雨林があるとは意外でした。でも、もうカカメガの森のまわりはすっかり伐採されて荒れ果てた草原に変わっています。かつてはそういった草原にも森が広がっていたとはとても信じられないほど荒廃しています。もしこの森がなくなれば、二度とこんな美しい森を再現することは不可能でしょう。オケカさんたちは森のまわりに動物たちが利用しない茶畑をつくって、これを村と森の境界にしています。そこを通るときは、人も動物も姿を見られることを覚悟しなければなりません。村と森とは意識を変えて過ごさなくてはならないことを、そこで確認するというのです。これはなかなかいいアイデアだと思いました。

  私はKEEPの人たちが森の植物をよく知っているのにに驚きました。それは村の人々が昔から森の植物を丹念に利用してきた証です。ほとんどが薬用として用いられていて、小さな雑草から二かかえもある大木の樹皮まであらゆる植物が名前を付けられ、薬用効果によって細かく分類されているのです。市販されている化学薬品に慣れてしまった私たちは、こうした自然から得られる生薬のありかも使い方も忘れてしまいました。その徴候はカカメガにも芽生えています。でも高い薬を買うためにどんどん森を伐採していったら、いずれは薬を買えなくなってしまいます。身近なもので末長く利用できるものは尊重していこうという姿勢が大事です。ま、そうすることによって自然はもっと親しみやすいものになるのです。来年は屋久島でアフリカの森との交流会が予定されています。オケカさんやバサボセさんがこの催しに参加してくれることになっていますし、うまくいけばポポフのカヘークワさんも来日する可能性があります。10月にバサボセさんはコンゴへもどり、屋久島でポポフの活動を紹介できるように準備をはじめました。カカメガでの体験をうまくいかし、日本とアフリカの森に共通の思いが芽生えるような活動にしていきたいと思っています。


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