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ポポフ(POPOF)はポレポレ基金(Polepole
Foundation)の略称で、1992年にコンゴ民主共和国で設立されたNGO(非政府・非営利団体)です。ポレポレとは「ぼちぼち」という意味のスワヒリ語で、あせらずゆっくりと運動の輪を広げていこうという気持ちがこめられています。
ポポフの目的は、コンゴ東部にあるカフジ・ビエガ国立公園の周辺で自然環境の保全、絶滅の危機に瀕する東ローランドゴリラの保護、地域振興、自然保護教育を実践することにあります。
こういったポポフの活動を支援するために、日本支部ではカフジ・ビエガ国立公園周辺の人々の生活、アート、東ローランドゴリラを題材にした絵はがきを作成して販売し、展示会、講演会を開いて寄付金を募り、現地で必要な物品を購入する資金にあてています。また、民芸品を作成する技術やアイデア、自然保護教育のための教材を提供したりしています。日本ではまだポポフの会員を募集するまでには至っていませんが、将来日本からも人材を派遣してより国際的な活動ができるようにしていきたいと思っています。 ポポフニュースは、最近のポポフの活動を紹介し、今までに日本で集められた資金がどのような活動に使われたかを報告するニュース・レターです。現地の人々やゴリラの近況についても報告していこうと思います。また、ポポフが創作したポポフグッズや絵はがきの販売についても紹介いたしますので、お知り合いで興味のある方にもぜひ伝えていただきたいと願っています。
ビチブ・ムフンブーカ画↓
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日本での活動
早川篤の石のゴリラたち
6月16日ー21日
堺町画廊(京都) ●「コンゴ・コンゴ・コンゴ」 新しいコンゴと古き伝統
6月20日
堺町画廊(京都) ●シンポジウム「コンゴの森と音楽」 バサボセ・カニュニ
7月1日ー12日
(コンゴ民主共和国中央科学研究所) 八木繁美(アフリカ音楽研究家) 大林 稔(龍谷大学) 澤田昌人(京都精華大学) 山極寿一(京都大学) ●「ポレポレ基金展」 GAIAの会主催 ウィルあいち(名古屋)
7月5日
●講演「ゴリラの森」 バサボセ・カニュニ
7月7日ー12日
(コンゴ民主共和国中央科学研究所) ●阿部知暁原画展「ゴリラ雑学ノート」 堺町画廊(京都)
8月11日
●国際霊長類学会自然保護委員会 :ゴリラの現状報告
11月19−20日
山極寿一、バサボセ・カニュニ アンタナナリボ大学(マダガスカル) ●サガ(SAGA)シンポジウム 「ポレポレ基金」ポスター発表と
ポポフグッズの販売 松原 幹、阿部知暁、山極寿一 |
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ジョン・カヘークワ、山極寿一
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昨年8月にキヴ州で勃発した政府軍と反乱軍との戦闘は、カフジ・ビエガ国立公園全域に及び、逃げまどう兵士と混乱に乗じた暴徒が入り乱れて、多くの村や施設が破壊される悲惨な結果となりました。国立公園の事務所はこの被害をまともに受け、公園の入り口にあった職員の住居はすべて破壊され、電線に至るまで暴徒に持ち去られてしまいました。職員たちは村に避難し、この3月末まで職務に復帰することができませんでした。ポポフの事務所もこの混乱の祭に荒らされ、タイプライター、文房具、、民芸品などが盗まれました。家を焼かれたり、強盗にあったポポフのメンバーもいますが、幸い負傷したり死亡したりすることはなかったようです。ただ、あちこちで道路が封鎖され、物資の流通が滞って今に至るまで不自由な生活を強いられています。薬も不足し、車がほとんど使えないので、急病になったら対処できないのが心配です。そこで、緊急対策費として事務所の修理と薬の購入に、活動資金の一部を当てることにしました。
反乱軍の支配下に置かれたキヴ州では、公的な活動は以前のままに行われていますが、国家公務員の給料は全く支払われていません。首都のキンシャサとの連絡が途絶えているのでこれは無理もないことですが、国立公園、農業研究所、中央科学研究所は政府の直轄機関なのでこの影響をもろに受けます。これらの職員も昨年4月から給料をもらえないまま、何とか自活せざるを得ない状況で暮らしています。公園職員にはドイツの技術協力事業団(GTZ)から非公式に1ヶ月1人あたり20米ドルの援助が出ていますが、研究所の職員はこういった援助がなく、自宅の庭を畑にして穀物(キャッサバ、トウモロコシ、豆)をつくり、やっと食べつないでいるのが現状です。これではゴリラの保護も研究も進展しようがありません。ポポフのメンバーにはこうした国立の機関で働く人々が多く、皆大変な苦労を強いられています。 最も大きな被害を被ったのは、国立公園の境界付近に居住していたトゥワ人たちです。支配勢力(反政府軍)の攻勢に押されて、政府軍、旧ルワンダ政府軍(イントラハムウェ)、反ツチ人組織マイマイなどが武器をもって公園内の森に立てこもったおかげで、トゥワ人たちは彼らと支配勢力とに挟まれる形となりました。そのため、双方から敵方に通じる者として疑われる危険が出てきました。実際、彼らの村は反乱軍の基地になったり、マイマイが占拠したり、攻防戦のかなめとなることが多かったようです。とうとうトゥワ人たちは境界付近の村を捨て、湖岸近くの農耕民の村へ移り住むようになり、あちこちでトラブルを起こすようになりました。 |
ポポフのメンバーはまず、これらのゥワ人たちと農耕民との問題を解決することから始めなければなりませんでした。なぜなら、国立公園の存在を認めることによってトゥワ人たちは住む場所を失った経緯があるからで、自然保護を推進するには彼らの生
活を保証することが不可欠だからです。そして、何よりトゥワ人たちはこれまで長い間森で一緒に仕事をしてきた仲間でもあります。日本で集められたポポフの資金の一部は、このトゥワ人たちの住む場所を確保するための調停費や一時的な生活費として使われました。 あちこちに銃をもった兵士が出没し、道路が遮断されて著しく通行が制限されたために、最近までポポフは思うような活動ができませんでした。民芸品を製作するにも材料が得られず、ポポフのギャラリーはからっぽの状態が続いています。 これまでの活動で苗木づくりだけは細々ながら続けられています。昨年の2月に植樹祭を催して、近隣の村の代表者にポポフが育てた苗木を配ったことはポポフニュース3号で紹介しましたが、その苗木の育成と新しい苗床の整備を行っています。昨年の期に撒いた種が芽を出し、順調に育っているので、もうしばらくすればいい苗ができるでしょう。そうすれば、また各村に苗を配り、緑化運動を通じて森の大切さを説いて回ることができるでしょう。このプロジェクトは農業指導員のエマニュエル・ムスタファが指導しています。 ジョン・カヘークワとデビッド・ビシーモワはカフジの森とゴリラ、それに人々の暮らしを子供向けの絵本にして、自然保護教育に役立てることを計画しています。もうすでに何回も近隣の子供たちを集め、デビッドが描いた絵を見せてゴリラの話をしているのですが、それをポポフのメンバーが誰でもできる形にしたいのです。そうすれば、メンバーが手分けをして各村や学校を回り、広い地域で自然保護教育を普及できるでしょう。 ポポフのメンバーは、こんな悲惨な状況の時に日本の友人たちがポポフのことを支援してくれていると知って、大変勇気づけられています。そして、何とかこの困難な時期を乗り越えて、夢ある未来をつくっていきたいと思っています。カフジの森とゴリラを守ることは世界の人々の共通の願いであり、ポポフがその願いを代表し実現できるということに大きな誇りを感じています。どうか、今後ともポポフの活動を見守って下さい。 |
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![]() 阿部知暁画
ゴリラたちの近況
唯一シルバーバックが健在だったムバララ集団でも、ムコノという子供ゴリラが両手をワナで絞められて失うという事件が起きました。昨年5月に日本の撮影隊が訪れた時にはまだ片手はかろうじて腕についていましたが、もう血は通っていませんでした。その後、ムコノの手は腐って落ちてしまいましたが、幸いムコノは生きながらえたようです。7月までムコノが立って二足で歩く姿が観察されています。 しかし、昨年の8月初めからこの3月の末まで、ガイドもトラッカーも森にはいることができませんでした。公園の入り口には支配勢力の兵士が駐屯し、森で見つけた人々はすべて敵と見なして射殺するという方針をとったからです。したがって、ゴリラの消息もこの8ヶ月間不明のままでした。3月末に再開された森行では、マエシェ(ラム・チョップ)集団とニンジャ集団が見つかりました。でも長い間公園職員との接触が断たれ、銃をもった兵
私たちの注目を集めたのはニンジャ集団です。昨年の8月1日に数えた時、ベッドの数は13でした。9頭のメスと大きくなった4頭の子供がベッドを作っていたからです。3月末に数えた時もこの数は変わりませんでした。しかし、この4月初めに数えたベッドの数は19もありました。しかもベッドの一つには長い白い毛と大きな糞が残されていたのです。これはシルバーバックがニンジャ集団に加入したことを示唆しています。ベッドの数が急に増えたのは、シルバーバックがメスや子供を引き連れて加入したことを意味している可能性があります。
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そこで、もっとニンジャ集団に接近して詳しく調べてみる事にしました。どうしても新しく入ってきたオスをこの目で確かめたいと思ったからです。幸いニンジャ集団は公園の入り口から歩いて約40分ほどのところを遊動していました。昨晩の泊まり場でベッドを数えると確かに19あります。白い毛が残された、ひときわ大きなベッドも見つかりました。まわりにいくつもベッドが作られているところをみると、メスに頼られているオスのようです。勇んでゴリラの跡を追いかけていくと、やがて木性シダの密生する湿った谷間でゴリラに出会うことができました。
出会った瞬間に発せられた吠え声で、すぐにシルバーバックがいることがわかりました。ゴリラたちはとても神経質になっていて、叫び声をあげて逃げるメスや、不安そうにやぶの中からこちらをうかがう子供たちもいました。おそらく、まだ人に馴れていないゴリラが含まれていたのでしょう。 しばらくじっとしていると、しだいにゴリラたちは落ち着きをとりもどしました。公園の制服は着ていませんでしたが、私たちの顔を思い出して危険がないことを理解したのでしょう。ビビ、マタタ、
ところが、シルバーバックはなかなか姿を現さず、時折叫び声をあげるメスにけしかけられるように大きく吠えてこちらへ突進してきました。明らかに私たち人間にまだ馴れていないオスです。運良くこのオスの横顔と後ろ姿をちらりと垣間見ることができ、まだ後頭部が盛り上がっていない若いシルバーバックであると判断しました。ひょっとしたら、このオスの集団も元からいた壮年のシルバーバックを失って、このオスが若くしてリーダーになったのかも知れません。 二つの集団が融合するという現象はゴリラの社会では極めてまれなことです。今回の事態が一時的なものなのかどうか、もう少し成り行きを見守らねばなりませんが、ゴリラたちがかつてない人間の戦争という混乱の中であらゆる能力を駆使して生き抜こうとしている様が感じられます。ぜひともニンジャ集団が離散せずに存続してほしいものです。 残念ながら、今までのところムシャムカ集団もムバララ集団も見つけることができていません。ムシャムカ集団のメスたちは皆乳飲み子を抱えているはずです。力強いシルバーバックの保護なしにこの困難な状況を切り抜けるのは大変です。願わくば、新しいオスを見つけて平和に暮らしていてほしいものです。ムバララ集団のカボコはどうしているでしょう。まだ二足で歩きながら大きなムバララにくっついて暮らしているのでしょうか。ムバララ集団には4頭の赤ん坊がいました。みんな無事でいてくれればいいのですが。吉報を待ちたいものです。 デヴィッド・ビシームワ画
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![]() バサボセ・カニュニ
しかし、一方でさまざまな社会的問題が起こりました。カフジ・ビエガの森林は、国立公園になる前は多くのトゥワ人や公園周辺に住む人々にとっていつでも利用可能な資源でした。果実を採集し、猟に行き、食用になる毛虫をつまみ、薪や建材用に木々を切り、かごや民芸品を編むためのつるを集める、など多様な要求を満たしてくれる場所だったのです。人々は病気を治療するための薬草を採集したり、伝統的な儀礼行うためにも森を利用しました。 人々は必要なもの一切を与えてくれる自然と良好な関係を保って暮らしていました。しかし、国立公園が設立されてからは、森に立ち入ることは厳重に禁止されるようになりました。以前から森に住んでいた人々は退去を余儀なくされ、移住するにあたって何の補償も与えられませんでした。こういった状況は人々をひどく苦しめました。おかげで人々は国立公園の設立が貧困をもたらしたと強く信じ込むようになり、公園内へ侵入しては密猟を続け、生物多様性を維持するための保護計画や研究計画を妨害して不満を表明するようになったのです。 政府が国立公園を設立する過程で住民との調和を計らなかったことが最悪の結果を呼ぶことになりました。近年この地域で起きた2つの内戦の間に、何百頭というゾウが人々の手によって殺されるという事件が起きたのです。内戦が起こる前、ゾウたちは大挙して公園境界付近の畑に侵入し、作物を荒らして人々の悩みの種になっていました。政府はこの被害に対して何の補償もしませんでした。動物たちに作物を荒らされたおかげで農民たちは空腹の日々を送らなくてはならなくなり、公園への敵意を強めていったのです。公園当局は地元の人々を雇用しましたが、その数はわずかで、経済の悪化によって失業者は増えるばかりでした。内戦が勃発した時、これらの不満が爆発し、人々は一斉に森へ乱入して密猟に走ったのです。 近年、1頭のシルバーバックがトゥワ人の密猟者に殺されて食べられるという事件が起こりました。彼らはこの行為が公園当局に対する抗議で、公園で働いて給料をもらっている人々への警告であると宣言しました。これは内戦によってもたらされた不幸な結果でもありますが、公園と周辺の居住民との間に深刻な社会問題があることを強く認識させられることになりました。 こういった問題を解決するために、ドイツの技術協力事業団(GTZ)は1985年にコンゴの自然護研究所と共同プロジェクトを開始しました。その目的はこの公園の保護への関心を高め、地元の人々の基本的な要求を満足させるような公園運営を企画することにありました。学校、診療所、産院などの建設が行われ、各地で新しく井戸が堀られました。野生生物を保護し、住民の生活を改善するためのセミナーが開催され、多くの問題が討議されました。その結果、公園側は公園の運営に地元民の参加が不可欠であること、地元は生活水準を良好に保つためには公園資源の保護と保全が重要であることを認識するようになりました。 |
ところが、最近勃発した2度にわたる内戦によって武器を持った兵士が公園内外に展開したため、保護に携わってきた国際的な保護団体やGTZは撤退を余儀なくされることになりました。これまで行ってきた仕事で身の安全を保障できなくなったからです。
内戦が終結したらすぐに保護の理念を再評価し、森と共生し生物多様性を維持していく方策について地元の人々と協議して行かねばなりません。これはポポフのような地元民によるNGOが活躍して初めて可能になります。ポポフはここ数年、公園周辺の人々に保護の理念を普及し、各地で森林資源の重要さを説いて回ってきました。人々はだんだん自然を尊敬し、その美しさを鑑賞することに喜びを感じるようになりました。ポポフは植樹センターを開設して、近隣の村に苗木を配るようになりました。この主な目的は、村人たちが公園に侵入しなくても日常生活に必要な薪や建材を得られるようにすることです。 現在のようにこの地が社会的、経済的に崩壊している状況で、こういった地道な保護の活動を続けることは大変重要です。ポポフの人々はこの活動が皆さんのご理解とご支援によって支えられていることを誇りに思っています。 左:ビチブ・ムフンブーコ画下:デヴィッド・ビシームワ画
昨年、日本でポポフの紹介と普及に活躍してくれたバサボセさんは、帰国直前になって現地で動乱が発生し、国境が閉鎖されたためにすぐには故郷へもどることができませんでした。そのため、マダガスカルで行われた国際霊長類学会へ出席した後、しばらくケニアに滞在し、12月になってからやっと帰郷を果たしたのです。 バサボセさんにはグラベさんという婚約者がいたことは、もう何人もの人が知っているでしょう。この動乱で彼はグラベさんのことをとても心配していたのですが、帰国後すぐに元気なグラベさんに再会したという知らせが入り、この4月10日に無事結婚式を挙げました。5月に入った連絡では、二人ともとても幸福に暮らしているということでした。 グラベさんはブカヴの教育大学へ通う大学生で、今熱心に英語の勉強をしています。将来は子供たちの教育や外国の人々との交流事業に従事したいという希望をもっており、語学はそのために必要だと考えたからです。きっと、バサボセさんのよきパートナーになるでしょう。グラベさんのお父さんはカフジ・ビエガ国立公園の周辺に大きな牧場や畑を所有しており、これまでは公園側やポポフと利害関係をめぐって対立することもあったようです。でも娘の結婚相手であるバサボセさんとの対話を通じて、今では公園や自然保護の重要性をよく理解してくれるそうです。バサボセさんの結婚は、はからずも自然保護の推進に大きな役割も果たす結果となったので
今年の秋にはまたバサボセさんが来日する予定になっています。きっと彼の口から楽しい結婚生活の様子が聞けることでしょう。楽しみにしておいて下さい。 |
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