![]() デヴィッド・ビシームワ画
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ポポフ(POPOF)はポレポレ基金(Polepole
Foundation)の略称で、1992年にコンゴ民主共和国(旧ザイール共和国)で設立されたNGO(非政府、非営利団体)です。ポレポレとは「ぼちぼち」という意味のスワヒリ語で、あせらずにゆっくりと運動の輪を広げ
ていこうという気持ちがこめられています。ポポフの目的は、コンゴ東部にあるカフジ・ビエガ国立公園の周辺で自然環境の保全、絶滅の危機に瀕する東ローランドゴリラの保護、地域振興、自然保護教育を実践することにあります。会員はほとんど国立公園周辺に居住する地元の人々で、調査団を組織して土壌や動植物相の現状を調査したり、観光客に配布するパンフレットや絵葉書をつくったり、地元でエコ・ツーリズムを推進
するための活動をしています。 こういったポポフの活動を支援するために、日本支部ではカフジ・ビエガ国立公園や東ローランドゴリラを紹介するパンフレットや絵葉書を作成して販売し、展示会、講演会を開いて寄付金を募り、現地で必要な物品を購入する資金や活動資金にあてています。また、民芸品を作成する技術やアイデア、自然保護教育のための教材を提供したりしています。日本ではまだ会員を募集するまでには至っていませんが、将来日本からも人材を派遣してより国際的な活動ができるようにしていきたいと思っています。 ポポフニュースは、最近のポポフの活動を紹介し、今までに日本で集められた資金がどのような活動に使われたかを報告するニュースレターです。現地の人々やゴリラたちの近況についても報告していこうと思っています。ポポフが創作したポポフグッズや絵はがきの販売についても紹介しますので、お知り合いで興味のある方にもぜひ伝えていただきたいと願っています。 |
活動報告1997年2月11日〜3月15日「ゴリラのすむ村」展 ■上野動物園(東京) 3月15日 講演:「野生動物と人々のくらし」 バサボセ・カニュニ(コンゴ中央科学研究所) 1997年3月4日
1997年4月10日
1997年6月7日
1997年7月8日〜20日
(株)カヨーコーポレーションがゴリラのぬいぐるみなどを販売したりバザーをした際に、売り上げの一部をポポフへ寄付してくださいました。ポポフとしてはこの販売にポポフのロゴマークを使用することを了承しています。 名古屋の風's や京都のクレエなど、ポポフの主旨に賛同していただいたお店にポポフ・グッズを置かせていただき、委託販売を行っています。 |
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![]() デヴィッド・ビシームワ画
会計報告97年2月より98年3月まで
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バサボセさんの帰国、そして再来日昨年1月に来日し、3月には上野動物園でコンゴの人々と自然保護についてお話ししてくれたバサボセさん(通称オギュさん)は6月の末に日本を発ってコンゴ民主共和国へ帰国しました。日本滞在中に故郷の国に新政府が樹立され、国名が変わったこともあって、帰国にあたって多くのトラブルが予想されましたが、無事に帰国することができたという連絡が入りました。阿部知暁/画
![]() 最近やっと国境が開かれて自由に人や物資が行き来できるようになりましたが、隣国のルワンダやブルンジの治安がまだ回復しないために多くの物資の流通は断たれたままです。医薬品の供給も十分ではなく、高価なためにほとんどの人々は手が届きません。栄養不足で子供たちは病気にかかりやすくなっています。このままではしだいに人々は飢え、野生動物たちが狩猟の対象となって危機に瀕することは目に見えています。 昨年の8月と今年の2月、5月に、日本のテレビ取材チームが現地を訪れ、オギュさんの協力のもとにカフジ・ビエガ国立公園のゴリラやポポフの活動を取材し撮影してきました。国立公園のスタッフやポポフのメンバーは、この難しい状況下で取材に来てくれた日本の人々に大変感謝していて、とても熱心にに協力してくれました。オギュさんにると、世界がコンゴの人々を忘れていないという思いが地元の人々を勇気づけています。私たち日本人が今でもポポフの活動に期待し、それを支え続けていることを知って大変喜んでいるそうです。
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現地の近況日本の皆様。こうしてポポフの活動を報告できるのは夢のようです。それほどこの一年はポポフばかりでなく現地のすべてのNGOにとって困難な苦しい日々でした。内戦が起こる前まで、ポポフの活動は順調でした。日本の皆様から資金を提供していただいたおかげで、布地や金属、木材を仕入れることができ、新しい民芸品も数多く生産できました。ところが、内戦の最中にこれらの品々はほとんど略奪にあったり壊されてなくなってしまいました。国境が閉鎖されて物資の供給がとだえ、諸外国からの支援も受けられなくなりました。カフジ・ビエガ国立公園も大規模な密猟によって大きな被害を受けました。森のなかへ逃げ込んだ人々によって大量の樹木が切られ、たきぎや炭になって売られていきました。内乱勃発後の半年で150頭以上のゾウが殺され、他の野生動物の被害も甚大な規模に上っています。国立公園の標高の高い山地林では各地でゴリラが殺されており、長年観光客に親しまれてきた有名なシルバーバックのムシャムカも不遇の最後をとげました。内戦終了後の1996年12月、ポポフのメンバーはすぐに公園周辺の村を回って保護を実践する活動をはじめました。人づけしてきた4つのゴリラの集団が暮らしている森の近くでは、とくにこの活動に力を入れ、ムダカ、ミテイ、ブゴレ、カタナの村では密猟と伐採の自粛を呼びかけました。しかし、これらの村々では健康状態の悪化と栄養不足が深刻な問題となっており、皆少しでも日銭をかせぐために森へ入ろうとします。これらの人々を説得するのは容易なことではありませんでした。 その打開策として、ポポフは診療所を設けて人々の治療にあたる一方で、新しく苗木センターを開設しました。これはポポフの基金と日本政府が国連の難民高等弁務官事務所を通じて援助した「森林回復基金」を受けてはじめたもので、成長の早い樹木(Grevellia, Cedrella,Eucalyptus )の苗木を育て、それを村々へ供給して少なくとも日用に役立つ木材資源を確保しようという計画です。現在、数万本にのぼる苗木が育てられており、半年後に各村へ配給することになっています。 1997年の6月には民芸品の製作も再開しましたが、資金不足で原料が入手できず、観光客もとだえているために販売することもできず、この活動はあまり進展していない現状にあります。 (1997年7月、ジョン・カヘークワ)
今年(1998年)の2月に日本の撮影隊が私たちを訪問してくれたのは、望外の喜びでした。おかげさまで私たちの苗木センターが各村の代表に苗木を配る植樹祭に日本の方々を招くことができました。この苗木は半年をかけて大事に育てられてきたもので、これから公園周辺の村々に配られ、村人たちの役にたってくれることになります。そのおかげで、公園の樹木は伐採をまぬがれ、野生動物たちが生活する場所を守ることができるのです。この様子はフィルムに収めていただいたので、日本の皆様にも見ていただけると思います。
ゴリラの方は残念ながら悲劇が続いています。私たち公園のガイドや監視員は今だに銃を携帯することが許されておらず、パトロールをするのも兵隊たちの協力を仰がなければなりません。大勢で森を騒がしく歩いていては密猟者にすぐ気付かれ効果は上がりません。 |
POPOFによる植樹祭
![]() 森や野生動物をよく知らない兵隊たちは適切な行動がとれず、不用意に銃を発砲したりします。こうした不注意によって、昨年10月に世界の人々の人気者だったニンジャというシルバーバックが殺されました。パトロール中の兵隊に出くわし、驚いた兵隊たちに銃で撃たれたのです。私たちガイドがついていれば、事前に兵隊たちにゴリラが決して危険な動物ではないことを教えていればこんな事態にはならなかったのに、と悔やまれてなりません。ニンジャは昨年密猟者に殺されたムシャムカの息子で、幼い頃から私が見守ってきたオスです。1989年にはじめて自分の集団を構え、以後順調にメスの数を増やし、次々に赤ん坊も生まれて最近では30頭近い大集団を率いるまでになっていました。ニンジャという名前は近くの村の名をとって私が付けました。私によく慣れていて、そばに寄っても全く不快な態度を見せませんでした。観光客たちもよくニンジャと一緒に写真を撮りたがったものです。 ニンジャが死んで半年たちましたが、まだほとんどのメスや子供たちはまとまって暮らしています。いずれ新しいオスがやってきてリーダーとなるでしょうが、それまでオスなしで不安な生活を送らねばなりません。密猟者にも狙われやすくなるでしょう。他のゴリラの集団でもオスが殺され、その結果メスや子供ゴリラが公園の外へ出てくるようになってしまったという報告もあります。このままでは、ゴリラと人間の接触が増えてゴリラが傷ついたり病気になったりする危険があります。 日本の撮影隊が撮影したムバララ集団に、片手のないムコノ(腕)という名前の子供ゴリラがいました。密猟者の仕掛けたワナで手首が締め付けられ、血が通わなくなった手の先が落ちてしまったのですが、最近もう一方の手もワナにかかってしまいました。残念ながら、私たちにはムコノの手からワナを外してやることができません。今、ムコノは傷ついた手をかばって後ろ足で立って歩いています。両方の手を失ってムコノが生き延びられるとはとても思えません。 こうした悲劇が繰り返されないためにも、早く公園の職員がもとの活動にもどり、きちんと監視ができる体制になれるよう願ってやみません。 (1998年5月、ジョン・カヘークワ)
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![]() かってのニンジャの雄姿
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ゴリラたちの一年上記のジョンさんの手紙にもありましたが、この1年はゴリラたちにとって過酷な試練の時期でした。1996年10月に勃発した内戦は12月には鎮静化したものの、多くの難民がカフジ・ビエガ国立公園へ逃げ込み、野生動物と人間との戦いはむしろ激化しました。公園の職員が武器をもてなくなったおかげで密猟が横行し、半年もの間公園内ではゾウ撃ちの銃声が絶えず鳴り響き、ワナが至るところに仕掛けられる事態となりました。内戦で多くの畑が踏みしだかれ、大量の家畜が殺されたり略奪されて失われました。日々の食料を得るために人々は先を争って公園へ侵入し、野生動物を狩り立てたのです。最も大きな痛手を被ったのはゾウで、山地林にすむゾウたちの半分以上が犠牲になったと思われます。ゴリラは比較的被害が軽かった方ですが、それでもいくつかの地域でゴリラの死体が発見されており、最もよく保護されているはずの公園入り口近くでもゴリラが殺されています。 最初の悲劇は1997年の4月にムシャムカ集団で起こりました。この集団は1971年以来その動向が調べられていて、シルバーバックのムシャムカは当時すでに十分に成熟していましたから、事件が起きた時もう優に40才を超えていたと思われます。ゴリラの40才は人間の60才にあたり、ムシャムカは相当な老齢と推測されました。たしかに胸の筋肉が落ち、首のあたりに多くのしわが寄って、全身がかなり骨ばって見えていました。そんなわけで、ムシャムカの死亡が伝えられた時、私たちは誰もが老衰で死んだものと考えたのです。 ところが、その後の調査でどうやらムシャムカは密猟者に殺されたようだということがわかりました。当時はまだ新政府が樹立される前の戒厳令下で、ガイドたちもゴリラに会いにいくことができませんでした。そのため、聞き込みによって事情が明らかになってくるまで、現場の様子すら調べることができなかったのです。今になっても、ムシャムカの死体は見つかっていません。 ムシャムカが死んだ時、集団にはまだ背中が白くなっていない2頭の若いオスと、3頭のメス、それに3 頭の子供たちがいました。こんな若いオスたちではとても集団をまとめていけないだろうと思われましたが、意外なことにメスたちがよくまとまって暮らしはじめ、1年たった今でも集団は崩壊していません。そして驚いたことに、その後3頭のメスがそろって赤ん坊を出産したのです。おそらく3 頭ともムシャムカの子供と思われます。何とか無事に育ってほしいものです。 マエシェ集団は現在2代目のマエシェによって率いられています。このシルバーバックは以前はラムチョップと呼ばれていたムシャムカの息子です。初代のマエシェが数年前に死んだ後、何度もこの集団を訪問してはメスたちのご機嫌をうかがい、やっとリーダーとして認められることになったのです。しかし、2代目マエシェはまだ若く、メスたちは全幅の信頼を置いているわけではないようです。それを証拠に、マエシェとメスの交尾はほとんど観察されていないし、メスもまだ出産してはいないのです。採食中マエシェはメスたちに置いてきぼりをくうことが多く、よくひとりぼっちで食べている姿が見受けられました。でも、最近入ったニュースによると、マエシェが立て続けに複数のメスと交尾をしているようなので、やっとメスたちもマエシェを信頼すべきパートナーとして認めはじめたと言っていいでしょう。この分なら、近いうちにベビー・ブームになるかもしれません。 2番目の悲劇は1997年の10月に起こりました。ジョンさんの手紙にあるように、人に最もよく馴れていたニンジャが兵隊に撃たれてしまったのです。ニンジャはまだ24才で働き盛りでした。これから数々のドラマをつくっていくと期待されていたのに、本当に残念です。ニンジャが健在だった頃13頭いたメスも11頭に減りましたが、まだメスと子供あわせて21頭が一緒に暮らしています。若いオスが1頭もいないのが気掛かりです、強くてやさしいシルバーバックが早くこの集団に加わってほしいものです。 |
ムバララ集団は、人馴れした集団のなかで唯一オスを密猟者に殺されなかった集団です。ムバララもそろそろ老齢に達しようとしていますがまだまだ元気で、子供たちの信頼を一身に集めています。最近マエシェ集団からメスが移ってきていますから、メスにもなかなか人気があると考えていいでしょう。ただ、ジョンさんの報告ではムコノという子供が両手をワナで絞められ、失ってしまうのではないかと心配です。この集団も密猟者の脅威から免れることはできなかったのです。
これらの集団の最近の様子は今年4月にTBS の「神々の詩」で放映されました。再放送されるかもしれませんので、まだ見ていない方はぜひごらんください。1996 年の6月にコンゴ、アメリカ、日本の合同チームが行った調査では、山地林約600平方キロメートルにゴリラは約240頭生息していました。この数は1990年に行われた調査(約260頭)に比べて少し減っていました。今はいったい何頭が生き残っているのか、全く見当がつきません。ひょっとしたら悲惨な数字になるのかもしれませんが、とにかく早急に生息状況を調べて現状を把握し、保護の対策を講じなければなりません。そのために、まず政治状況が好転し、早く私たちが協力して調査ができる日がくることを願っています。 (1998年5月 山極寿一)
ポポフ展と講演会のお知らせ![]() 6月9日(火)〜14日(日)
6月16日(火)〜21日(日)
6月20日(土)14:00 より 参加費1,000 円
(コンゴ民主共和国中央科学研)
八木繁実(アフリカ音楽研究家) 大林 稔(龍谷大学) 沢田昌人(京都精華大学) 山極寿一(京都大学) ![]() GAIAの会「ポレポレ基金」展 ■ウイルあいち(名古屋) 7月5日(日)13:30 より
バサボセ・カニュニ
7月7日(火)〜12日(日)
(コンゴ民主共和国中央科学研) 阿部知暁原画展 「ゴリラ雑学ノート」 ■堺町画廊(京都) |
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